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慶長元年の頃に大阪の堺にある開口神社(あぐち)の境内に店を構え、
あんころ餅やきなこ餅、大福焼餅などを売っていました。
当時境内には、念仏寺というお寺があり、
それにちなみ「大寺さん」と呼ばれていたので、
店の名前が大寺餅となりました。
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『与謝野晶子と大寺餅』
晶子が「年を取ると昔食べたものが懐かしくてねぇ、東京へ来る時は他の土産は要りませんから大寺餅と四十日芋を持ってきて欲しい」と言ったという事であった。大寺餅というのはやはり家の近くにあって、私どもが大寺さんと呼んでいた開口神社の境内で売られていたあんころ餅で、お店で食べる様にもなっていた。
古い町の事ども 渡辺 登志子著より
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| 『上方落語と大寺餅』
わたい堺へ行くのが好きでございましてね、堺に行くと「大寺餅」ちゅうて、あんころ餅、おまっしゃろ、
名物の? そぉですそぉです。あれ食べんのが好きでね、あれ食べた人間の体の中で暴れた倒しまんねん。
疝気筋(センキスジ)をグ〜ッグ〜ッ引っ張って、人間が七転八倒しまんねん「痛い、痛い、いたいわぁ〜い」ちゅうてね。
疝気の虫より
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『松竹新喜劇と大寺餅』
堺出身の喜劇役者曽我廼家五郎が、大寺餅の行商の様子を舞台で演じ、
その関係で松竹新喜劇には大寺餅の幟(ノボリ)が舞台道具としてあるそうです。
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| 『紀州街道と大寺餅』
大寺餅は紀州街道に近いとこから大阪や和歌山まで名が知られるようになりました。大阪・住吉の住吉かるたには、行商の様子が描かれており、
また長塚節の『松蟲草』(まつむしそう)には和歌山まで名が通っていたことが書かれております。 |